稲岡健太郎 志賀町町長
2023年クリスマスイブの夜。志賀町民が選んだ新リーダーは46歳の稲岡健太郎さんだった。サンタクロースの帽子を被った子どもたちから花束を受け取ると「町民の声を形にして、風通しの良い町に変える」と決意を語った。
前町長が贈収賄事件で逮捕され辞職したことに伴う町長選挙は、保守系3人が立候補し、激しい選挙戦だった。
明けて2024年正月。稲岡さんは志賀町内の実家にいたところを強い揺れが襲った。町長就任から9日目に発生した能登半島地震だった。
「選挙が終わったばかりだったんで、結構バタバタしていて。午前中から来客があり、色々と対応していました。その日は朝早かったので、仮眠をしていたところに、最初の揺れが来て目が覚めました。これは珠洲で大きな地震がきたのだろうと思っていたところに、2回目の揺れがきたんです。長かったですね」


家の中が崩れ落ちていく様子を見ながら、「役場に参集しなければいけない」と考えた。実家には家族や親戚の人たち、およそ25人が集まっていて、子どもたちは書初めをしていた。その安全を確認すると、自らハンドルを握り町役場へと急いだ。幸い、酒は飲んでいなかった。
「そこらじゅうに人が出ていて、道はいたるところに亀裂が入っていて、崩落している崖もあったし……。役場に行くまでに川を2つ渡らなきゃいけないんですけど、最初の橋がまず渡れなくて、う回路を探して渡れる橋を見つける、通れる道を見つけて走るという繰り返しでした。脇道を抜けて、通常15分のところ1時間近くかかって役場に着きました」
稲岡さんが役場に到着したのは5時半ごろだった。ずっと大津波警報が出ていて、役場の1階には、たくさんの住民が避難していたという。
「環境安全課の課長が登庁していたので、まず原発どうなっているかを確認しました。すると、異常なしだというので、自衛隊とか緊急消防援助隊とか、『すぐ要請かけてくれ』って。そうこうするうちに、馳知事から電話がかかってきて、『自衛隊派遣どうしますか?』と言うので、『すぐに要請します』と伝えました。それが最初の仕事だったなと思います」

志賀町では発災直後に災害対策本部を立ち上げたが、状況の把握には苦労したという。
「どの場所に人が集まっているかという情報は、入ってくるには入ってくるんですけど、町じゅうが混乱した状況で、だんだん暗くなってくるし、電話かけても繋がらない。現在の状況はどうなのか、なかなか全容を把握できなかった」
「その晩はどうされたんですか?」と聞くと、「深夜に一度、着替えを取りに家に帰りました。何時だったかなぁ。家に戻ったら、もう誰もいなかったんです。みんな近くの小学校の体育館に避難していていました」。
稲岡さんは再び役場に戻り、町長室で一夜を明かした。
翌朝、インスタグラムには、「S」の文字の町章が入ったヘルメットの画像を投稿した。

「これがウェブ会議の写真ですけど、1日3回ぐらい会議をしていまして、そこでいろんな情報が入ってくるんです。被災した他の首長さんとかもみんな、ずっと庁舎にいたようで、仲間がいると思うと心強かったです」
インスタグラムで町民へのメッセージを発信した。
自衛隊、県、消防、警察へ災害派遣を要請し、9:00から会議を再開します。
新年早々、皆様にはご不便をおかけしますが、役場職員総動員で対応に当たっていますので、お互いに励まし合いながら、この試練を乗り越えましょう。
町長室で寝泊まりする日々は1カ月続いた。
稲岡さんは1977年(昭和52年)、志賀町徳田生まれ。金沢大学大学院を卒業したあと、家業である建設会社に入った。大きな転機が訪れたのが2011年(平成23年)だった。東日本大震災が発生し、福島の惨状を目にするにつけ、「自分には果たす役割がある」と思ったという。
「ちょうど町議会議員の改選のタイミングだったんですけど、あの大震災をみて、使命感が湧いてきたんです。志賀町は原発立地の町なので、街づくりに関わる仕事がしたいというふうに思ったんです」
稲岡さんは町議選に立候補し初当選した。33歳だった。町議を3期務めた後、2023年4月の石川県議会議員選挙に立候補したが次点で落選。その年、当時の町長が贈収賄事件で逮捕され辞職。これに伴い行われた町長選挙に挑戦し、初当選を果たした。そして任期スタートから9日目の能登半島地震。「とんでもない船出になりましたね」と言うと……。
「みなさん、そうおっしゃいます。これはとんでもないことになっているという思いはありましたが、9日目だからどうとか、特に思ってなくて。この災害は誰も経験してないはずだから、ウェブ会議で顔合わせる他の首長さんも一緒だろう、一期目だろうが何期目だろうが一緒だろうと思いながらやっていたので、そこはあんまり気にしてなかったです」
「地震で考え方など変わったことはありますか?」と尋ねると、「志賀町は原発立地の町なので、マスコミからよく聞かれます」といい、話し始めたのは原発に対する考えだった。
「毎年、原子力防災訓練はしていたんですけど、割とルーティン化というか、マンネリ化していた。油断もあったんじゃないかなと思います。その時の訓練が、今回の地震で、どこでどう生かされたのかというと、ほとんど機能しなかったと思っています。志賀原発は、ずっと動いてない原発ですし、結局そこがあるのかな。稼働していて、事故が起きた、いわゆるシビアアクシデントを想定した訓練ばかりだったので、今回のような、事故の前兆となるような大災害の訓練ではなかったと思う」
内閣府によると、志賀原発の30キロ圏内では道路の亀裂や土砂崩れなどで避難ルートの通行止めは32カ所に上った。稲岡さんは、避難計画の見直しが必要だと指摘する。
選挙戦では「志賀原発はすぐに再稼働すべき」と訴えてきたが、地震後は国と原子力規制委員会が科学的根拠に基づき審査を進め、結果を住民、国民に説明する責任を果たしてほしいというスタンスにシフトした。
志賀町は去年(2024年)7月、復興計画を策定し公表した。計画の87プロジェクトのうち8つが創造的復興リーディングプロジェクトで、▽普段は生涯学習やスポーツの拠点などに使える複合型の避難拠点施設と防災公園の整備▽災害に強い住宅地の整備と災害公営住宅の建設―—などが盛り込まれている。
計画の基本理念は「かえる、志賀町」で、「人が帰る」、「元に返る」、「町を変える」という意味をこめた。被災した能登の6市町では最速だ。
「他の自治体よりも半年ぐらい早かったと思います。石川県が去年(2024年)6月に復興ビジョンを示したんで、そのすぐ後に公表したいと思い、計画を練っていました。本来、細かく住民のみなさんにお話を聞いて策定するという手法がベターなのかもしれないですけど、町はこうするんだってことを早く示したかった」
災害復興は「3年目が試練」といわれる。被災者の心身の疲労、支援側の疲弊が蓄積する時期で、「復興の壁」とも呼ばれる。まもなく2026年、3年目の試練が始まる。制度や計画の整備にとどまらず、町民の声に耳を傾け、寄り添うことこそが、志賀町を明日へ導く力となる。「心の復興ですね」と言うと、稲岡さんは大きくうなずいた。

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〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」

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