ペンション&カフェクルーズ
黒崎信司さん 衣統子さん
久里(くのり)晋一朗さん 真衣子さん
深いブルーの外壁に白い縁取りが映える。志賀町の別荘地にたたずむペンション&カフェクルーズ。急勾配の屋根面から突き出した小屋根の付いたドーマー窓が、クラシカルな欧風建築を思わせる。取材に訪れた10月、満開のキンモクセイが、酸味を含んだほんのりと甘い香りを漂わせていた。
オーナーの黒崎信司さん、能登半島地震の事をインタグラムで発信し続けている。
《2024年1月1日》 緊急連絡
今回の地震のことでたくさんの方々からメールやお電話を頂きありがとうございます
今回の地震はわたしも経験したことがないような大きな地震でした。
ひとまずわたし達は大丈夫でした。

《2024年1月5日》
昨日も岸田さんも現地に入ったようですが
これから国、県、町、民間、各企業そして微力ながらわたし達のような個人店も一致団結してこの未曾有な災禍に立ち向かっていきたいと思っております。
いつかまたこの能登半島にほんとうの笑顔が戻って来ますように、、、

《2024年2月2日》
至るところで炊き出しや義援金も集まってきて支援の輪が広がってきているようです。
しかし改めて再建、復興の難しさを痛感しております。
わたし達は絶対に負けません!
この能登の原風景を残すことはわたし達の使命だと思っております。

黒崎さんが、積極的にインスタグラムで情報発信をするのには訳がある。
黒崎さんは1953年(昭和28年)新潟県柏崎市生まれ。アパレルの会社で働いていたが、脱サラし、1980年(昭和55年)に金沢市内で喫茶店「@コーヒークラブ Cruise」をオープンさせた。「喫茶店を開くのが目的。そのため会社勤めをしていた」という。
その後、喫茶店の店員たちと出かけた長野県白馬村で出会ったペンションにすっかり感化されてしまった。衣統子さんの出身地である志賀町に土地を購入し、ペンションを始めた。1985年(昭和60年)のことだった。
クルーズの自慢は、アンティークを愛する信司さんが集めたこだわりのインテリアだ。扉を開けると、フランスの片田舎に迷い込んだような空間が広がる。
ペンション経営は順風満帆だったが、2012年(平成24年)に衣統子さんが脳梗塞で倒れた。それを機に、名古屋市で教師をしていた長女の久里(くのり)真衣子さんが、夫の晋一郎さんと志賀町へ帰ってきた。
「私は3姉妹の一番上なんですが、ペンションを継いでくれと言われてないし、そんな話もしたことがないよね」と真衣子さん。
晋一郎さんは三重県桑名市生まれ。名古屋でIT関係の仕事をしていた時に真衣子さんと出会い結婚した。「志賀町への移住は、人生の大きな転機ですね」と水を向けると、「あまり深く考えるほうじゃないので」と晋一郎さん。
「このペンションは、お父さんとお母さんが2人でやってたんですけど、健康面の心配もあるし、こっちで一緒にやろうかって考えるようになったんです。それもいいかなって思って、向こうの仕事やめて、こっちに来ました。初めは継ぐっていうより、一緒にやるぐらいの感じでした」と、あくまで自然体だ。
晋一郎さんは、衣統子さんから料理を習う傍ら、色々なカフェを巡り、勉強したという。
クルーズでペンションウエディングを企画したのは2018年(平成30年)だった。
「自然豊かな森の中でペンションを貸し切ってのお食事会や、屋外テラスでの人前式、
そしてお庭でガーデンパーティー。宿泊もできるので、式が終わった後もゲストの方々と夜までゆっくり語り合う。他ではできないアットホームな雰囲気の結婚式もクルーズなら叶います」
そんなコンセプトだ。
記念すべき1組目のカップルを迎える準備を進めていたときに、信司さんは倒れた。衣統子さんと同じ脳梗塞だった。
信司さんはインスタグラムに「苦悩」の2文字を書き込んだ。ハッシュタグには「挫(くじ)けない心 負けない」。
「16年前に私が倒れたときは、この人は元気だったけれども。まあ、2人とも2カ月近く入院しました。年が年だから・・・」と衣統子さん。
言葉を話すことに不自由が残ったが、ペンションウエディングは予定通り終えることができた。その様子は、「趣味を形に、新しい結婚式」という見出しを付け、北陸中日新聞が大きく取り上げた。信司さんは「大成功だったと思う。クルーズらしく温かい空間づくりができた」とコメントした。
◇
2024年1月1日。ペンションもコテージも予約で埋まっていた。晋一郎さんが厨房で夕食の準備をしていた時、大きな揺れが襲った。「すごい揺れが長くて、次々と皿は落ちるわ、グラスは倒れるわ」。しかし宿泊客も家族も無事だった。ペンションと2棟のコテージを経営しているが、建物に大きな損傷はなかった。
当面、宿泊客は受け入れできないと思っていたが、すぐに予約の電話が入った。「水が出なくても泊めてほしい」という自治体職員、報道関係者、医療関係者だ。

晋一郎さんは飲食店の仲間らと、炊き出しのボランティアをした。
「野菜や肉を大量に寸胴に入れて、トン汁だとかミネストローネだとか作りました。100人分とか130人分とか。配給で、おにぎりとかカップ麺とかは、避難所に来るんですけど、野菜がなかなか取れないので」


真衣子さんは、気づかされたことがあるという。
「ああ、こんなにみんな考えてくれてるんだと思った。遠くの人とか、知らない人も気にかけてくれて。お客さんも連絡くれたりとか。九州の知らないパン屋さんが、地震の際に志賀町の人に助けてもらったことがあるからって、コメ粉パンを作る機械を持って来てくれて」
真衣子さんの言葉を、衣統子さんが継いだ。
「本当にほかの方がこんなにまで皆さん、私たちのことを思ってくださるかなと思って、それがすごく嬉しかった。普段、あんまり交流の無い方でも、いろんな形で援助の手を差し伸べてくれる」
信司さんは、今もインスタグラムで情報を発信し続けている。
《2024年2月8日》
今はコテージハーベストには歯科医師会の方々がお泊まりなっておられます。朝早くから夜の遅くまで一生懸命に働いて口内ケアなどの指導をやっておられる歯科医師会の皆さまに感謝しております《2024年9月15日》
富来の増穂が浦の世界一長いベンチで「光の絆」と言うイベントが行われました
夜空を舞い上がるランタンこのランタンの灯りが皆さまの心に届いてその願い、祈り、その全て思いが夜空に届きますようにと願っております
この震災が風化される前に…

7年前、脳梗塞に倒れた直後、信司さんはインスタグラムにこう綴った。
「挫けない心 負けない」 「陽はまた昇る 必ず!」
話すことに不自由が残る信司さんにとってインスタグラムは、思いを発信するツールであり、世界につながる架け橋である。
「負けない」という言葉が、被災地の今に重なる。

ペンション&カフェクルーズ
別荘地の緑の中に佇むペンション&カフェクルーズ。
たくさんのアンティークインテリアに囲まれて、日常を離れて癒しの時間をすごしませんか。
雑貨屋やカフェもあり、ゆっくりとお過ごしいただけます。
お食事は、能登の食材を使った創作コース。お風呂はゆったりとした貸切風呂。ペットも一緒にご宿泊できます。
石川県能登半島のまん中にあるから、金沢や輪島などへの観光にもぴったり。
すてきな旅の1ページをクルーズで。
https://www.pension-cruise.com/
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」

一覧に戻る