#25 生まれ故郷の町で小規模事業者の復興支援に奮闘 

 

浜野 誠一さん 富来商工会

「庭に車が2台、停めてあったんですけど、ポンポンポンって縄跳びしているみたいに見えて、そのうち瓦がその車にざーって落ちてきたんです」

印象的な言葉で発災の瞬間を語ってくれたのは、富来商工会の浜野誠一さんだ。富来商工会には青年部と女性部が設けられており、浜野さんは女性部の担当だ。名刺には増穂浦海岸に寄せられたサクラガイの画像があしらわれている。

2024年1月1日、帰省した息子ら5人と、志賀町鹿頭(ししず)の自宅でくつろいでいたところを能登半島地震が襲った。

「多分ですけど、志賀町内でいうと、鹿頭の一帯が、特に揺れが大きかったんじゃないかと思います。揺れは相当長く感じました」

能登半島地震で震度7を観測した地点が2カ所ある。1カ所は輪島市門前町、もう1カ所が志賀町香能に設置してある震度計で、浜野さんの家から直線距離で約1キロだ。

震度7を観測した志賀町香能の震度計=浜野さん提供

揺れもさることながら、頭をよぎったのは津波の恐怖だった。

「家は海岸から約50メートルしか離れていないので、津波がくるんじゃないかと。一刻も早く高台に行かないと、と思いました」

家を見下ろせる高台で数時間を過ごした。幸いにも津波が家に押し寄せることはなかったが、その夜は避難所へ身を寄せた。

瓦が落ち、鬼瓦だけが宙づりになった自宅=浜野さん提供
山積みになった崩れ落ちた瓦=浜野さん提供
志賀町西浦防災センターには300人以上が避難した(2024年1月1日)=浜野さん提供

商工会は「商工会法」という法律に基づいて設立された公的な団体だ。商工会法の第三条に、その目的が記されている。

「商工会は、その地区内における商工業の総合的な改善発達を図り、あわせて社会一般の福祉の増進に資することを目的とする」

石川県内には商工会連合会を含めて21の商工会があり、その一つが富来商工会だ。

1月4日、地震後、初めて志賀町領家町の職場に出勤すると、建物の入り口には段差ができて、亀裂が走っていた。事務所の中に足を踏みいれると、物が散乱していた。

会員の人たちはどうしているのか、事業所はどれくらい被害がでているのか、確認しようと浜野さんらは事業所回りをスタートさせた。

「とりあえず現場を回ろうと。事業所に居た人もいるし、避難所に行っている人もたくさんいたし、皆さんに会うことは出来ませんでしたけど。聞き取りをして、事務所に戻って、その集約をしてという日々です」

旧富来地区の商店街は特に被害が大きかった。会員の人たちも、何から手を付けたらいいか分からない状態だったという。

「とりあえず後片付けをしているという感じです。何をすればいいのか分からない。それから、借り入れがある事業者はその事を心配しないといけないし、従業員がいたら、その安否とか、雇用とか、考えないといけないことが山ほどあって。うちの会員は、ほとんどが小規模事業者、ということは旦那さんが全部やっている、あるいは奥様と旦那さんでやっているみたいなところだらけ。野球に例えると、旦那さんは監督であり、エースで四番。自分で全部やらないといけない。そうすると責任感やらプレッシャーやら、メンタル的に辛そうな感じがありました」

亀裂が入った「ロードパーク 女の浦」=浜野さん提供

資金繰りの相談や補助金制度の申請をサポートするのは、商工会の大切な業務で、地震や水害など有事こそ商工会の出番ともいえる。発災当初は補助金のスキームなど決まっていなかったため、事業者の助けになればと調べたのが、2016年(平成28年)の熊本地震の支援策だった。

「同じような支援がされるのではないかと思って。なりわい再建補助金とか出るんじゃないかということで、会員に『写真取っておいてください』とか、『罹災証明が要ると思います』とか、『多分こういう支援が出ると思うので、こういうことだけ準備しておいてください』みたいな声掛けをしました」

「なりわい再建補助金」は正式名称を「中小企業特定施設等災害復旧費補助金」という。中小企業の事業再建を支援する目的で、東日本大震災をきっかけに創設された制度だ。しかし浜野さんは、「事業を継続するか廃業するかは、最終的には事業主の判断」と話し、いずれにしろ厳しい状況が待っていると考えていた。

「被災した建物を建て直すには相当、時間がかかります。それから、借入がある事業所が結構あったので、例えばですけど、2月にも支払いの返済がくる案件は、とりあえず一旦止めてもらいましょうと。でも、それがいつまで続くか分からないし、新たな借り入れもできない」

富来商工会の会員の多くは中小の事業所の経営者で、高齢者だ。

「建て直しするにしても、また新たに借りないといけなくなるので、それはどうなのか……。高齢の方が新たに借金して、何年ローンみたいなことになると、厳しい。だから再建の話があっても、『やってください』と後押しすることをためらうこともあります」

自衛隊が設営した移動式の風呂=浜野さん提供

浜野さんは1967年(昭和42年)、志賀町鹿頭で生まれた。大学を卒業後は金沢市内の民間の企業で働いていたが、1996年に教員をしていた父親が他界したことを契機にUターンした。

当時、富来町は合併の前で、商工会の加入事業者は400以上あった。町はにぎわっていたという。それが今は、250にまで減った。

賑わいを取り戻そうとSNSなどを使って、積極的に情報発信をしている。

「富来の出身の人は全国に居るので、『俺のふる里ってここなんや』って自慢できるものがあったらいいなと思います。例えば『俺のふる里の海、こんなに綺麗なんや』と。富来出身の人がふる里自慢してくれなかったら、縁もゆかりもない人は、よっぽどでないと富来って見つけられない。富来出身の人、1人が1人に紹介してくれたら、すごい集客に結び付くと思う。『いがら万頭、懐かしい』とか、『祭りの風景、懐かしい』とか」

地震後に富来商工会女性部は、「今行ける能登!富来マップ」を制作した。地域の魅力と復興状況を発信し、観光客を呼び込もうという狙いだ。今年度は地元の中学3年生にサクラガイを使ったお守りを贈ることにしている。「桜が咲く」と書いて「桜咲(おうしょう)」。淡いピンクのお守りだ。幸せを呼ぶ貝が、受験生を応援する。情報発信と話題作りを兼ねた、浜野さんの思いが詰まった企画だ。

能登半島地震から1年、解体が進む「トギストア」=浜野さん提供

地震が起きて、地元への思いに変化があったという。慎重に、言葉を選びながら、話してくれた。

「個人的には、震災の前は、『このまま静かに、自分の代で終わり』っていうか、『後継ぎがいなければ廃業しよう』っていう考えの事業主さんは、それでいいと思っていたんです。だけど今は、できれば続けてほしいという気持ちの方が強くなっています。無理のない範囲で、やりたいという気持ちがある事業主さんは頑張って欲しいなぁって思います」

解体が進む商店街を歩きながら、改めて商工会の仕事を見つめ直す。

「富来地域で頑張ってもらえる事業所がなくなってしまうと、町としての姿がもう描けなくなってしまう。どれだけかの事業所が残って、頑張っていくということがないと、全体的に諦めムードになっちゃうし。町のためにはやっぱり産業とか、商業とか、やっぱり絶対的に必要なんです」

道の駅とぎ海街道に設けられた「富来復興商店街」で

富来商工会

〒925-0447石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲10
0767-42-2562

https://togi.shoko.or.jp


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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