#24 大阪を 能登の復興を支援する「日本酒列車」が走った

 

升本敬さん カーブデラますもと(ますもと酒店)

「ちょっと聞きづらいかもしれないね。毎日こんな感じで話をするんですけど」

長さ10センチ余りの円筒形の機械を喉元にあてて、話し始めた。アンプリコードという電気式人工喉頭が、声帯の代わりを担う。志賀町高浜にある酒店「カーブデラますもと」の3代目、升本敬さん。35年前、喉頭がんのため声帯を切除した。少しくぐもった声だが、しっかり聞き取れる。

2024年1月1日。升本さんは子供や孫たち、合わせて11人で元日を過ごしていたところを能登半島地震に見舞われた。家で寝泊まりすることはできず、町内に住む長女夫婦の家へ避難した。

「最初の1回はすぐ静まったんですけど、2回目は縦揺れですね。立っていられないんですよ。たんすとかひっくり返ってくるし。子供たちはテーブルの下に入っていたんですけど、まず外に出ようと。隣に空き地があって、裸足のままみんなで出ました」

地震後、初めて店を見に行ったのは翌日だった。ますもと酒店は、能登を中心に県内の日本酒や、世界のワイン、こだわりのクラフトビールなど、少々値が張るが、珍しい酒を多数取りそろえている。「酒瓶やワインは相当割れているだろうな」と覚悟はしていたが、予想通り、床にガラス瓶が棚から落ちてガラスの破片が散乱し、アルコールの臭いが店中に充満していた。

升本さんはコンビニ事業も手掛けている。地震から1週間したころ町役場から、こんな要請があったという。

「弁当とパンを配達してくれへんかって言われたんですよ。『コンビニは配達なんかせんよ』と言ったけど、『そこをなんとかお願いできないか』と。『何するげんね?』って聞いたら、『避難所に、避難者のために届けたい』と言うんです。『分かった。私も地元で生まれ育った人間やから協力します』って言って、1月7日から3月 31日まで、パンとおにぎりを数千個、毎日配達したんですよ」

物流網の寸断により、商品供給がストップした状況となっていた中、コンビニの本部と掛け合い、被災地に弁当やパンを届ける。断水し食糧が届かない被災者の助けになったことを「コンビニやっていて良かった」と振り返る。

店の前の駐車場には亀裂が入った=升本さん提供
酒瓶が割れて、ガラスが散乱した店内=いずれも升本さん提供

升本さんは1953年(昭和28年)志賀町高浜で酒店などを営む家に生まれた。金沢の大学に進学し、2年の時だった。父親が脳梗塞で倒れた。

「家は酒だけでなくオートバイや自転車、プロパンガスも扱っていたんです。番頭が1人いまして、私のお袋と3人、『これは大変や』って。私は大学を辞めて実家に戻るっていう話になったんですけど、当時の教授が何度も家に足を運んでくれて、『大学を辞めるのはもったいない。ゼミだけ出席しろ』と言って、それで卒業させてくれたんです」

27歳で結婚し、3人の子供に恵まれた。異変が起きたのは1990年(平成2年)、37歳のときだった。

「声がかすれちゃって、出なくなって。周りから『ちょっとおかしいんじゃないか』って言われたんです。でも元々私の家族はかすれ声なんですよ。親父も、じいちゃんも、弟もみんなそんな感じ。『うちの家系や』って言っていたんです。でも、耳鼻科の医者をしている叔父さんが、『それおかしくないか。俺と一緒に金沢医科大病院に行こう』って言って連れて行ってくたんです。3回目の診察で、『東京の病院へ行ってくれ』と言われた。治療は、東京の方がいいという」

喉頭がんという診断だった。現在のがん研究会有明病院を訪ねた。

「5人の先生が来られて、かわりばんこに僕を診て、5人が声を揃えて『若いから切った方が良い』っていうんです。『切ったらどうなるんですか?』って聞いたら『いや、声は失います』って。ショックでした」

長女が小学4年生、長男は小学1年生、次男が2歳だった。

「『声が出なくなっても、命があった方がいいでしょ』って医者に言われて、『そうですね。じゃあ切ってください』って」

せめて、3人の子供たちが成人するまでは、頑張って生きていかなければならないと思い切除を決断した。

手術は無事終了したが、電気式人工喉頭は欠かせない。お客さんとはジェスチャーを交えて会話する。ますもと酒店の創業は1917年(大正6年)、升本さんは3代目になる。

現在は酒店だけでなく、志賀町、羽咋市、宝達志水町に合わせて4店舗のコンビニを経営しているが、1店舗目をオープンさせた1週間後の2007年3月に能登半島地震が発生した。しかし2024年の地震の揺れ方は全く違ったという。

「長いこと生きてきて、地震の経験は何度もあるんですけど、去年の正月のあの衝撃は初めてですね」

仏具が散乱した仏壇=升本さん提供
解体工事が進む自宅(2024年12月)=升本さん提供

9月20日、「日本酒列車 がんばろう能登」が大阪を走った

「大阪酒販協同組合が能登半島地震の復興のために力を貸したいと申し出てきて。その一つがモノレールを貸切った『日本酒列車』です。6種類の能登の地酒が飲み放題なんです。私が用意したのは1500本くらい。日本酒業界からの支援は本当にありがたいです」

主催は大阪酒販協同組合で、石川県酒販協同組合連合会が協力した。万博記念公園駅を発着点とした大阪モノレールに、升本さんも乗り込んで、能登の地酒を振る舞った。

升本さんは、ことあるごとに「感謝」という言葉を口にする。

それにしても、升本さんの名刺に記された役職の多さに驚かされる。

石川県酒販協同組合連合会 副会長

石川県小売酒販組合連合会 理事

七尾小売酒販組合 理事長

七尾酒販協同組合 理事長

志賀町商工協同組合 理事長

喉元に人工喉頭をあてた声は、機械的な響きがあり、初めての人には少し聞き取りづらいかもしれない。それでも身振り手振りを交え懸命に接客し、商売を続けてきた。その姿に心を動かされた人々から、数々の役職を頼まれ、それを引き受けてきた。聞き取りづらい声だからこそ、人は耳を傾け、込められた思いを受け取ろうとする。升本さんの人柄が「役職」を引き寄せているように見える。

「病気になって、もう35年も経つけど、振り返ればいろんな節目があって、人前に出るのが嫌で閉じこもっていたら、それもそれぞれの人生やったかもしれんし、逆に僕は名刺を持って、挨拶行ったり営業行ったり。僕の声がこんなんやから、イメージが強烈なんですね。だから付き合いたいとか、なんとかしてやりたいって気持ちにさせるのではないですか。いいのか悪いのか……」

そう言うと、笑顔で人工喉頭を置いた。

喉元に電気式人工喉頭をあて取材に応じる升本さん

能登の酒屋〼ますもと酒店

石川の地酒(加賀・金沢・能登)を中心に、個性あふれる自然派ワインやクラフトビール・ウイスキー等その他酒類関連グッズをセレクトしております。美味しい料理にはおいしいお酒が欠かせません。有名・無名を問わず、造り手の想いの詰まったお酒を、おいしくて、楽しい料理の引き立て役になるような、そんなお酒を提案していきたいと考えています。

能登の酒屋〼ますもと酒店


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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