#22 北前船が行き来した福良港、そして震災の記憶 歴史の語り部の使命

 

松山宗惠さん 福専寺住職

墓地の風景は一変していた。「まあ凄まじい状況でしたね」といい、スマートフォンの写真を見せてくれた。台座から落ち倒れた墓石、台座からずれて斜めに傾いたままの墓石……。

「すぐに墓地を回って、余震が来たら倒れますので、直せるものは、でも柱の大きい墓石はとても一人では動かせないので……」

そう話すのは志賀町福浦港にある福専寺住職の松山宗惠(しゅうけい)さんだ。

ちなみに、海沿いの入り江に「福浦港」という港があるが、その周辺の地名も同じく「福浦港」という。

台座からずれた墓石=松山さん提供

倒れて割れた灯籠=松山さん提供

2024年1月1日。松山さんは、帰省した娘や孫たちと過ごしていたところを能登半島地震に襲われた。

「ちょうどトイレに行って手を洗っていたら、ガタガタってきて、ものすごい揺れになって。とにかくリビングにでようと思って、戸を開けようと思っても、全く開かないんですよ。で、足で蹴破って出てリビング行ったら、孫とか子供たちがテーブルの下とか椅子の下にみんな潜り込んでいて、私の入る場所はなかったですね」

 大津波警報が発令された。海岸から直線距離で50メートルほどに位置する福専寺は、津波がきたらひとたまりもない。家族は高台にある旧小学校へと避難した。高台から港を見ると、白波がたっていたという。

「防波堤の方へ目をやったら、真っ白になっているんです。やっぱ津波が来たということですね。一定の高さで津波が押し寄せていたんですね」

避難先で車中泊し寺に戻ると、改めて地震の怖さを思い知らされた。

津波は寺の目の前にまで押し寄せていて、あと数センチで床下浸水だった。車2台が水につかり、廃車にした。本堂はご本尊が一部損傷し、壁面に張ってあった金紙や、障子が破れていた。

本堂の仏具は倒れ、壁面の金紙が破れた本堂=いずれも松山さん提供

金沢市の三女の家に避難し、毎日福浦港へ通った。被害を受けた墓地の現状を確認し門徒さんに報告する、金沢などから飲み物とか非常食を買い込み地区の人に配る、携帯トイレの手配をする、そんな日々が続いた。真宗大谷派からは、毛布、手拭い、灯油、水など大量の救援物資が送られてきたが、道路状況を確認し、安全に運搬できるよう差配するのも松山さんの仕事だった。

本堂は中規模半壊の判定だった。

松山さんは1955年(昭和30年)、志賀町福浦港に福専寺の17代目として生まれた。

「高校までは福浦港で過ごし、大学は京都。でも小学校5年生のとき父親が倒れたんです。ですから大学行くまでは、学校から帰ってくるとお参りに門徒さんのところを回ったり、葬式もしたり。そんな生活が続いていました」

寺の跡を継ぐのは既定路線だったという。

松山さんは「いしかわ文化観光スペシャルガイド」を務めている。石川県の歴史や文化、伝統工芸などの魅力を、訪れる人々に伝える専門ガイドである。きっかけは“平成の大合併”を控えた2004年(平成16年)だった。郷土史家で元小学校校長の本多達郎さんは、富来町の伝説や逸話を丹念に集めて記録し、その研究成果を披露する場として観光ボランティアガイドの会「又次」を立ち上げた。

又次は、逸話の登場人物で、江戸時代初期の船乗りだ。間の抜けたところがあるが、とんちがきいてユーモアあふれる人物で、全国の船乗り仲間で有名な存在だったという。周囲を和ませるキャラクターは、富来の文化や人情を象徴する存在でもある。

「2005年(平成17年)に、市町村合併で新生志賀町に生まれ変わるので、それまでに会を立ち上げて、とにかく富来地区をPRしたいという思いが本多先生にはおありでした。特に観光事業ですね。それに賛同者が集まった」

松山さんは設立会員の1人である。

「地域の歴史を発掘したり、文書化したり。明文化すれば、いろんなものが残るんですよ。まあ、福浦はそういう取り組みをして、福浦の区史とか、オリジナルのものを何冊か出版しました。けれども、文章では残せない無形のものもありますので……」

本多さんは2019年に他界したが、その1年ほど前に、自ら立ち上げた「又次」の会長を辞任。死期を悟ったかのように、会の活動資料一式を松山さんに託した。

当初は13~14人のメンバーがいたが、現在は松山さんが遺志を継ぎ一人で観光ガイドの活動を続けている。文章では残せない福浦への思いを語り続けている。

「北前船は何を運んでいたとか、千石船100トンとはどれくらいの大きさかとか、乗組員はどれくらいいたかとか、1回の航海で、今の金額にすると6000万円から1億円は利益があがったとか、そういう具体的な話をするようにしています。話題があまりにもローカルになると、興味が持てなくなるので、そこは気を付けています」

ガイドの活動がピークを迎えたのは2014年から2015年ごろで、年間1200人以上を案内したという。しかし、2020年以降は新型コロナウイルスの感染拡大で団体客はピタッと止まった。回復の兆しが見えたところで能登半島地震。訪れる人は激減した。

今は防災教育に訪れる高校生が中心で、“地震の語り部”の役割も果たしている。この1年で案内したのは約70人だという。

「川沿いのコンクリートの擁壁が15メートルほど倒れたんです。いまも土嚢を積んだままですが、そんな現場を歩きながら、私が体験した地震や津波のリアルタイムの話をしています。家族は何をしていた、港の様子、仏具が散乱した状態……」

約15メートルに渡り崩れた擁壁=松山さん提供

福専寺は去年、少しでも福浦に足を止めてもあろうと、「香り袋作りとお抹茶体験」を始めた。

「本堂にお参りをいただいて、ご法話をさせていただいています。その後、好きな匂いのお香をとっていただいて、それを綿でくるんで袋に入れる。うちの坊守(ぼうもり=住職の妻)が木目込み人形をずっとやっていて、人形の布をたくさん集めていたものですから、それを袋にしているんです。そして抹茶も飲んでいただいて。また家族連れで福浦に来ようかとか思ってもらえたらうれしいですね」

福浦港を望む金比羅神社脇の細い坂道を登っていくと、木造の白い建物が姿を現す。日本最古の西洋式灯台、旧福浦灯台だ。現在の灯台は1876年(明治9年)に建てられたが、起源は1608年にさかのぼる。以来400年、福浦の歴史を見つめてきた。

「又次」が生きた時代、北前船が行き来した海、そして震災を越えた福浦の港……。 灯台の記憶が、松山さんの語りに重なる。

福専寺では「香り袋作り」が体験できる

福専寺

福専寺では「香り袋作りとお抹茶体験」を受け付けている。本堂拝観付きで、拝観・体験料は3,000円。体験時間はおよそ1時間で予約制。参加者2名以上で実施します。

石川県志賀町福浦港ケー9  電話受付 0767-48-1523 


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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