#21「祭りのある町で生きる」という覚悟 次の担い手へ

 

松本航さん 冨来八朔祭礼壮年会協議会会長

「最初は何が起こったか分からなくて。本当に立とうとしても立てないぐらいで、目の前が二重三重になって見えました。気付いた時には、家の中の物が倒れて、窓も外れて」
 
こう話すのは志賀町地頭町の松本航(わたる)さんだ。2024年1月1日、妻と高校生の息子の3人で家にいたところを、強い揺れが襲った。同居している母は外出中だった。家は傾き、戸や窓が外れガラスが散乱。家族で富来防災センターへ避難したが、センターは住民であふれ、ぎゅうぎゅう詰めの状態だった。やむなく車中泊することを決めた。

家は大規模半壊と判定された=いずれも松本さん提供

「うちはイヌを飼っているので、やっぱり、人が大勢いるところに行くと迷惑になると思って、車の中で寝泊まりしました。余震がひどかったので、妻は家に帰るのが怖いというし。3日ぐらい経って、ようやく一旦帰って、家の片づけはしてたんですけど、夜寝る時は車へ。そんな生活が1週間ぐらい続いたと思います」
 
家は「玉を転がしたら、シューって転がっていくぐらいの傾きだった」という。大規模半壊の判定で、4月に一家で仮設住宅へ移った。
 
「トレーラーハウスに住んでいるんですけど、そこはワンフロアで、間仕切りもなくて。何をするにしても、誰かいますし。息子は年頃なんで、息子も大変やろうしね。ストレスはすごくたまりますね。それこそ夫婦喧嘩した日なんて、嫁の顔も見たくないのに、ずっと同じ空間にいなきゃいけないんで、そういうのとかも大変でしたけど」
 
松本さんは笑い話のように明るく話すが、仮設住宅に暮らす人たちの心労を思うと、笑える話ではない。
 
松本さんは1985年、志賀町地頭町に生まれた。地元の高校を出て、金沢の大学へと進み、そのまま金沢市内の会社に就職した。金沢での生活が6年目のときに父を亡くした。
 
「自分は姉が2人いるんですけど、2人とも県外に出て、母親が1人でこっちにいることになったんです。心配っていうわけではなかったんですけど、長男やし、やっぱり実家に残った方がいいかなっていう思いもあって。戻るならこのタイミングかなって」
 
松本さんの父は貨物船など大型船のエンジニアだった。
 
「1年のほとんどを船に乗っていて、3カ月ほど家に居るか居ないかというような父でした。あまり口数の多い方ではなくて……、『昭和のおやじ』って感じですかね。でも帰ってくると、うれしかったですよ。海外のお土産とか買ってきてくれたりして」
 
家は築40年。松本さんが生まれた年に父が建てた。しかし能登半島地震で大規模半壊の判定を受け、去年12月に公費解体された。
 
「父が建てた家を解体するのは、やっぱり寂しかったですね。最初は、『しょうがない』と思っていたんですけど、やっぱり解体が始まって、見に行った時は、ぐっとくるものありましたね。うちの母親も、口では『もうこれだけ傾いたらしょうがない』って言っていたんですけど、毎日見に行っていたみたいです。寂しい思いはあったんでしょうね」

公費解体が進む自宅(2024年12月)=いずれも松本さん提供

松本さんは今年、冨来八朔祭礼壮年会協議会会長という大役が回ってきた。祭りの運営や運行を取り仕切ることになる。
 
「富来の中でも祭りっていうのは大きな行事で、そこの、まあいってみればトップに立つっていうことなんで、本当に、荷が重いといえば荷が重いんですけど、名誉であることです。気が引き締まる思いで、受けさせていただいたんです」
 
毎年8月に行われる冨来祭礼。冨来木八幡神社の男神を、約2キロ海側に位置する領家町の住吉神社の女神のもとへ送り届ける奇祭だ。片道3時間の道のりを2日かけて往復する。大きいものになると8メートルもあるキリコが、御輿(みこし)にお供し練り歩く。富来の人の心のよりどころでもある。
 
「祭りの時期になったら、みんなそわそわします。富来の祭りといったら、鉦(かね)と太鼓がずっと鳴っているんですけど、それを聞くと心踊りますね」
 
松本さんは、特別な思いで今年の祭りを迎えた。というのも、去年は地震の影響で通常2日間の開催期間を1日に短縮した。キリコを担ぎながら見た町の風景は一変していた。
 
「本当に解体した家が多くて、風景が今までと違うんです。そこらじゅう更地になっていて、櫛の歯が欠けたような感じで、見とったら寂しいですよね」
 
道路は崩れている箇所や段差があるところも多く、安全確保が難しいことから、全区間の約7割をトラックで巡行した。

2019年の冨来八朔祭礼

「みんな自分の生活が第一で、祭りがないのは寂しいけど、正直なところ、それどころじゃないねっていうのはありました。縮小してでも開催するべきだという人もいらっしゃったし、中には、震災直後の今年やからこそ、『せなだめや』っていう声もあがってたのは事実なんです。結局、昨年の執行部と氏子会の中で、『少しでも祭りを……』という思いがあったんで、縮小開催という形に持っていったんです」
 
迎えた今年の冨来八朔祭礼。1日目の8月23日は冨来八幡神社の境内に10地区のキリコがそろい、法被姿の男衆の掛け声で高々とキリコが持ちあげられると、境内は熱気に包まれた。日が落ちると、みこしに乗った冨来八幡神社の男神が住吉神社へ渡御する「お旅」が行われた。
2年ぶりの通常開催である。今年は友人や知人、祭り参加者を料理と酒でもてなす「ヨバレ」も復活した。
2日目の本祭りは、各地区のみこしが増穂浦海岸を巡る「浜回り」が行われた。地震で倒壊した鳥居が修繕されたばかりの住吉神社に御輿が参集した後、領家町や地頭町などを巡行した。夜半に冨来八幡神社に帰り、壮年会協議会会長の熱い2日間は終わった。
 
「とりあえず、大きなトラブルもなく終えたのが一番です。それこそ復興に向けて、盛大に開催できたんだな、よかったなって思います」
 
松本さんは祭りの準備と並行して、進めていたことがある。それは家の新築、そして仮設住宅からの引っ越しだった。
 
「地元での、横の繋がりだったり、縦の繋がりだったりとか、そういうのを大事にして行きたいですし、私は一度地元を離れたんですけど、戻ってきて、もう一度離れるのかって考えたときに、本当にそれでいいかなっていう思いはありました。ここで生きるって決めたから、ここで骨埋めるという思いは強かったです」
 
「75歳までローンがあるんです」と笑う。お盆休みを利用して、新居への引っ越しを終えた。親子3代、4人の生活が始まっている。来春、高校を卒業する一人息子の凌さんは、将来は富来へ帰ってくると言っているそうだ。

松本さん(右)と息子の凌さん

「うちの息子も、祭りがすごく好きで、七尾とか奥能登の祭りとかにも、参加しに行ってるんですけど。で、なんで帰ってきたいのかって聞いたら、自分のように祭りの会長をしたいと言うんです。自分からすると、ちょっとおかしいのではと思いますけどね。そのぐらいで帰ってくるって、どうなんかなっていうのはありますけど(笑)」
 
半ばあきれたように話す松本さんだが、まんざらでもなさそうに見えた。「祭りがある町で生きる」という覚悟は、次の担い手へと受け継がれていく。

冨来八幡神社の鳥居前(志賀町八幡)

冨木八朔祭礼

毎年8月第4土曜日と翌日の日曜日に開催されている石川県羽咋郡志賀町の伝統ある祭り「冨木八朔祭礼」。太鼓や鐘に合わせ力強く練り歩くキリコや神輿をご覧ください。

https://togi-maturi.com


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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