吉田千里さん 能西水産代表取締役
金沢市の「ひがし茶屋街」から一歩入った小路に、町屋を改装した小さな店がある。「ちぃちゃんのお魚惣菜 波の綾」。海鮮丼やイカを詰め込んだ春巻きなど、能登直送の魚介をメインに使った惣菜や弁当が並ぶ。運営するのは志賀町西海千ノ浦の水産加工会社「能西水産」だ。
店を切り盛りする吉田千里さん、夫と子どもと愛犬で志賀町の実家に帰省していた時に能登半島地震に見舞われた。
「偶然ですが、観ていた海外ドラマが地震のシーンだったんです。アラームが鳴ったんですが、ドラマの中なのか、現実なのか分からくて……。そうしたら、本当に強い揺れが襲ってきて、声も出ないくらいガタガタガタって揺れました」
食器棚からお椀やグラスが飛び出し割れた。台所にいた父親の頭の上に、白いラックが倒れてきて、書類や郵便物、収納ケースなどが散乱した。


「父は車いすなんです。若いときに事故に遭って、それが年を取るうちに不自由になって……」
父親は、母親の運転する車いす用の車両で、吉田さん一家は金沢から乗ってきたマイカーで、夫と子どもと3人で近くの千ノ浦会館へ避難した。会館にはおよそ80人が避難していた。
「避難した会館は『耐震が出来ていないから、中に入れない』って言われて、みんなでずっと外にいたんです。そのうち、誰かが会館のテレビを外に向けてくれて、初めて火災が起きているシーンを見ました。とにかく揺れが続いていて、誰の携帯かわからないけど、緊急地震速報の、ウィーンウィーンっていうアラートが鳴り続けて……。ものすごく不気味でした」
帰省中に被災した人もいて、普段は見かけない車も多かったという。ご近所の人がたまたま買っておいたというカップ麺や果物を食べ、焚き火で暖をとり、会館からソファーを引っ張り出し、風よけのため段ボールを組み立てるなどして、一夜を過ごした。車の中で過ごした人も多かったという。
吉田さんが実家に戻ったのは翌日の2日になってからだった。
「父に『金沢へ避難しよう』と言うんですけど、頑なに『行きたくない、行きたくない』って言う。でも地震が続いているから、やっぱり1回どっかに避難しようって言い聞かせて、無理やり金沢へ連れてきました。そこから1週間くらい居たかな」
能西水産では地震直後から水が出ず、魚介の加工ができなかった。事務所の屋根瓦は落ち、ブルーシートが張られた。幸いなことに電気は止まらず、冷蔵庫や冷凍庫に保管してあった商品は無事だった。
「うちは冷凍の『いしる干し』とか『味噌粕漬け』とか作っているんですけど、冷凍が欲しいっていう人に対応していました。2月18日に、ようやく水が出るようになって、気持ちの上でも通常に戻って行けたかなと思います」
魚介を卸していた和倉温泉や志賀町のホテル、老人ホームなど、営業を再開出来ないところも多く、「売り上げは2~3割は落ちた」という。回復の兆しはなかなか見えない。


吉田さんは1973年(昭和48年)旧富来町生まれ。タンカーの船員をしていた父親は、体を壊したことで船を降り、「海に関わる商売で身を立てたい」と1990年(平成2年)に、兄弟で水産加工の会社を興した。現在の能西水産だ。刺身の盛り合わせや能登の魚醤、いしるを使った干物などが人気で、県内の宿泊施設や福祉施設のほか県外の飲食店にも卸している。
高校を卒業した吉田さんは金沢の大学に進んだ。一人娘だったが、家業を継がず、金沢で就職し結婚もした。吉田さんに大きな転機が訪れたのは、新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年だった。能西水産は後継者がいないため、会社を譲渡しようかという話が持ち上がっていたのである。加えてコロナ禍で売り上げが落ち込み、給料が払えないような状態だったという。
「後継者がいないとか、誰かに譲ろうかなという話を聞くと、なんか面白くないという感情が湧いてきたんです」
たまたま知ったのが事業再構築補助金制度だった。
事業再構築補助金とは、2020年度の国の補正予算で設立した制度で、コロナウイルスの感染拡大に伴って、新たな市場進出や事業モデルの転換、感染防止に取り組む中小企業に、費用の3分の2、1社当たり100万~1億円を給付する制度である。
「私が事業再構築補助金を使って『なんかやりたい』って夫に言ったら、いろいろアドバイスしてくれて。『水産加工がメインの会社が、魚介のテイクアウトを手掛けるというのは採択の理由になるんじゃないの?』って」
コンセプトは「能登で獲れた新鮮な魚を美味しい“お魚惣菜”に」。2回目の申請で、吉田さんの案は採択された。勤めていたショップを辞めて、能西水産の代表になり、2023年3月、ひがし茶屋街に近い金沢市観音町に惣菜と弁当の店「ちぃちゃんのお魚惣菜 波の綾」をオープンさせた。金沢に拠点を置きながら、週1回は志賀町に通う“社長業“を続けている。
2024年1月、能登半島地震の影響で七尾市公設地方卸売市場は休場となった。このため「波の綾」も20日ほど休業を余儀なくされたが、魚介の仕入れ先を金沢中央卸売市場に変え、復興への歩みを進めた。
今年7月から「波の綾」の2階にイートイン・スペースを設けた。メニューも従業員皆で考え、「波の綾 特製御膳」、「海鮮丼」、「白身魚の漬け丼」などが食べることができる。海鮮丼を肴に、“ちょい飲み”も可能だ。
お刺身やお魚惣菜などは、今までどおりテイクアウトとして購入できる。
吉田さんは地震後に見た不思議な風景の話をしてくれた。
「水平線が高くなったんです。岩場の風景が変わって、水平線の見え方も変わって。岩の出方が少しになったんです。“高い”っていう表現が合っているんですかね? でも私からすると、水平線が上がったっていう感じがします」

吉田さんの実家のすぐ前は日本海だ。堤防があり、船着き場があり、岩場越しに水平線が広がる。隆起や陥没で、岩場の景色が変わったのだろうか。水平線は高くなるはずはないのだが……。
思えば、西海千ノ浦の風景は地震で大きく変わった。
「実家の横も空き家だったんですけど、持ち主が他県にいたので壊してしまったし、その横もないし……」


「吉田さんご自身、考え方は変わりましたか?」と聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。
「人生は一度きりだと思いました。やりたいことをちゃんとやろう、伝えたいことをちゃんと伝えよう。今を大事に生きよう。後悔はしたくない」
父の興した会社を継ぎ、能登で獲れた新鮮な魚を食卓に届ける。「伝えたいこと」を“お魚惣菜”に込める。

株式会社 能西水産
株式会社能西水産は能登の魚を中心に、金沢・七尾漁協から仕入れた新鮮なお魚をお刺身や干物、漬込み加工により、さらにおいしくお届けしています。
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」