沖﨑太規さん 西海水産代表取締役
「この会社って、前の能登半島地震(2007年3月)でもダメージを受けて、なんとか立て直したものを、今回また被害を受けた。工場を見たら、そこらじゅう傷んでいた。これはやばい……。立て直すのは無理と思いました。申し訳ないけど従業員は一旦解雇して……」
経営者として辛い判断を迫られた。胸の内を語るのは、志賀町西海千ノ浦の水産加工会社「西海水産」の沖﨑太規さんだ。
2024年1月1日、昼寝から覚めたところで、地震に襲われた。
「これはシャレにならんと思うくらいの揺れでした。箪笥の上からはテレビが落ちそうになって、これはけがする、いや死ぬかもぐらいの感じでした」
自宅は一部損壊状態だったが、倒壊は免れた。気になったのが会社だった。揺れが収まるとすぐに駆け付けた。
「外も傷んでいましたけど、中を見たら、天井は全部落ちているし、水道のパイプは破損して水漏れしているし、冷風で魚介を乾燥させる機械はかたがっているし。この壊れ方を見た瞬間、会社を続けるのは無理かなって思いました」




「この辺りは漁師さんが多いんですが、夫が漁にでると奥さんは、することないよね。特に子供の手が離れたら。そこで、そういう人たちが働ける場所を作ったらいいんじゃないかって、会社を立ち上げたんです」
製造販売しているのは「丸干しいか」、「干しほたるいか」、「ほたるいか沖作り」、「いしりするめ」の4つ。イカ、特に日本海で獲れたイカにこだわる。「干しほたるいか」は、親指ほどの大きさの生のホタルイカを、ひとつずつ並べ干していく。触腕と呼ばれる“長い足”も一つ一つ手作業で伸ばす。また「丸干しいか」は「もみいか」とも呼ばれ、手でもみほぐし干すという伝統の製法を守っている。いしる(魚醤)が隠し味なっている能登の味だ。
「北前船の寄港地には、必ずといっていいほど丸干しイカがあるんです。塩漬けしたイカを食べるとき、海水でイカをもんで、塩を外さなければならない。これが『もむ』という作業で、『もみいか』の名前の由縁なんです。だけど、石川県では廃れていました。父で先代の沖﨑五六社長が、『石川県で復活させよう』っていって、スタートしたんです」
2024年の能登半島地震。西海水産は断水が続き、身動きが取れない状態が続いた。
「うちは、水を使っていろいろ製造する会社なんで、水が出ないとどうにもできない。片付けすることもできなければ、掃除もできないんです」



地震発生から半月が過ぎたころ、沖﨑さんは約10人いた従業員に解雇を告げた。
「従業員を置いたまま、国の助成金を受けようかとも考えたんですが、それでも多分もう何カ月かで元の状態に戻すのは無理だと判断しました。申し訳ないけど一旦解雇して、会社を離れてもらいました。従業員の中でも、家が被災して、金沢に住む息子らを頼ってこの土地を離れた人もいたし」
沖﨑さんは西海水産43年の歴史に幕を引き、ゼロから出直そうと考えていた。
「金沢のつてを頼って、仕事を紹介してもらって……。最悪お金なかったらダブルワーク(2つ以上の仕事の掛け持ち)かなと思っていました」
沖﨑さんは1970年(昭和45年)志賀町西海千ノ浦で生まれた。大阪の大学を出た後、金沢市中央卸売市場で魚の競り人として働いたが、36歳の時に故郷に戻り家業を継いだ。現在は4代目の社長である。
「こっちに戻ってくる気はなかったんです。お盆や正月に、帰るじゃないですか。そんなときも親は『帰って来んでいいよ』って言うけれど、態度を見とると、『まあまあ、帰ってきてほしいんだろうな』っていうのが見え隠れする」
能登半島地震で断水は2カ月近く続いたが、停電にならなかったのが救いだった。冷凍庫にあった商品は、すべて生きていた。
「もし商品が駄目になっていれば、負債がすごいことになっていたんで、おそらく再起うんぬんの話にはならなかったでしょう」
約5カ月後に在庫は尽きたが、沖﨑さんは、何とか再起できないか模索を続けていた。従来の取引先は現在どんな状態か、買ってもらえるのか、工場は再び商品を製造できるか、修理にはどれくらいかかるか、試算を重ねていた。七尾市の能登産業復興相談センターに足を運び、資金繰りの相談もした。「会社が復活したら、戻ってくるよ」という従業員もいた。
「従業員を雇って、これぐらい生産して、これぐらい売上があって、去年の原材料価格とか、経費を計算して、これぐらい利益があげられる、こうやって回していけば、やっていけるんじゃないかという試算になった」
経営のシミュレーションをして、銀行の融資を取り付け、動き出したのが9月だった。修理をほぼ終えて製造ラインが動き出したのが今年3月だった。
西海水産のホームページには、こんなあいさつが載った。
長らく製造を休止しておりました工場の復旧工事がようやく完了し、製造を再開いたしました。
皆様からのあたたかいお言葉や応援のおかげで再スタートできましたこと、心から御礼申し上げます。
これからも震災前同様、安全を第一に皆様に愛される商品づくりを心掛けてまいりますので、今後とも変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。
(2025年4月1日)
取材を終え、「丸干しいか」を買って帰った。上手く焼くにはこつが要る。
- 焼く前に、日本酒か水に10分ほど浸す
- オーブントースターか魚焼きグリルを温めておく
- 水気をさっと拭き取り2~3分焼く。指で触れ温まっていたら出来上がり
「焼き過ぎは禁物」と沖崎さんに教えてもらった。
程よく焼けた「丸干しいか」を一口食べると、いしるの香りが口の中に広がる。内臓ごと、もんで干したイカのワタはほろ苦く、ビールが進む。暑い時期は、冷酒や冷えた白ワインにも合うこと請け合いだ。西海水産がこだわり続けた味だ。

株式会社西海水産
能登半島の先端、海士崎灯台のすぐそばで、1982年の創業以来、潮風に包まれながら商品づくりを続けてきました。
交通の便は良くなりましたが、今も自然豊かな田舎町。だからこそ生まれる美味しさと、澄んだ空気の中で育まれる自慢の味があります。
これからも能登といかを愛し、安心・安全な商品づくりを大切にしてまいります。
https://r.goope.jp/saikaisuisan
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」