岡﨑昌子さん おかざき荘女将
赤住漁港を望む入り江の脇に、宿が建っている。鮮やかなブルー看板に「海辺のお宿」という白い文字、そして2羽のカモメが描かれている。「おかざき荘」は志賀町赤住にある部屋数16、木造二階建ての小さな民宿である。
2024年1月1日。家族や親族が新年の顔を合わせをして、その後片付けを終えたとき、震度7の揺れが襲った。

「ちょっと休もうと部屋に行ったときでした。立って歩けない、中腰になって、壁伝いに歩いて外にでました。孫たちは泣いているし。2番目の男の子が一番泣くんですよ」
そう話すのは、おかざき荘の2代目女将、岡﨑昌子さんだ。テレビは盛んに大津波警報を告げていた。正月風景は一変した。家族10人が車3台に分乗して、取るものも取りあえず高台に向けて避難を開始した。避難所には30人ほどが身を寄せていた。
「みんなおせち料理とか食料を持ってきて。でも、私は学校に上がるか上がらんかという孫が4人いるので、避難所のみなさんに迷惑がかかるのではないかと思って、次の日には家に帰りました」
家へ戻ってみると、眼前に驚くような光景が広がっていた。津波が来ていたことを知ったという。
「もう一面ヘドロ。砂でなくて、まるでヘドロ。すぐ前にある船上げ場から津波が上がってきたんです」


海から船を上げるため斜めになった場所を『船上げ場』という。おかざき荘のすぐ目の前に船上げ場があり、津波は、海底をえぐり取り、堆積していたヘドロ状の泥を巻き上げ、陸地へと遡上した。海藻が打ち上げられ、排水溝にへばりついていた。


押し上げられた泥にはプラスチック片が混じっていたことに驚いたという。
「1センチから2センチの。赤やら青やら、いっぱいありました。それに発泡スチロール。一円玉くらいになった丸い発泡スチロールがいっぱいありました」

建物には亀裂が走り、瓦がずれていた。室内は商売柄、多数保管していたワイングラスや食器は落ちて割れ、ピアノは位置がずれていたものの、なんとか生活することはできたという。水は出なかったが、1月10日ごろには宿泊を再開した。というのも、予約が入ったからだ。
「国の地震研究所とか、赤十字とか、『水が出なくてもいいです』という人たちが泊まっていました。あと、ユーチューバー。発電所がどうにかなっているんじゃないかっていうんですよ。『あなたが期待しているようにはなっていません。大丈夫ですよ』というんですけど、実際に自分の目で見たいらしいですね」

岡﨑さんは、能登路を走る観光列車「花嫁のれん号」に乗り、ボランティアガイドとして志賀町の魅力を伝えている。
「このキャラクターは『あかりちゃん』なんですけど、『あかりちゃん』はなんでしょう」
イラストが描かれた手作りのボードを取り出し、ガイドの様子を見せてくれた。
「あかりちゃん」は志賀町のゆるキャラで、モチーフになっているのは福浦港日和山に立つ旧福浦灯台だ。「花嫁のれん号」に乗る観光客にクイズを出して、正解した人には、さくら貝などをプレゼントしているという。しかし、去年は「花嫁のれん号」は運行を休止し、岡﨑さんが乗る機会は失われた。
岡﨑さんは「いしかわ文化観光スペシャルガイド」に任命されている。それだけではない。2012年には観光ガイドの会「西能登まろうど倶楽部」を設立し、志賀町を案内する活動を続けている。
「今後はインバウンド客を取り込まなくてはいけない。そう思って、お茶、習字、和太鼓、さらに磯遊びなどのプログラムも用意している。
「志賀町の魅力をもっと発信したい」。故郷への愛が岡﨑さんの活力の源である。

海辺のお宿 おかざき荘(※現在は作業員の宿泊のみの限定営業です)
三代続く女将のおもてなしが息づく、家庭的であたたかい雰囲気の宿「おかざき荘」。雄大な日本海を目の前に、漁港公園に隣接した立地で、釣りや海辺の散歩を楽しむことができます。
長期滞在にも適したアットホームな環境で、毎日変わる海の色や風の音に包まれながら、心安らぐひとときを過ごせます。
https://www.instagram.com/okazakisou
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」