内濱英世さん 農事組合法人あいかみ理事
志賀町相神(あいかみ)は南に増穂浦海岸、北に能登富士と呼ばれる高爪山を望む。集落の中心部を新川が流れ、田んぼが広がる。
「息子夫婦が孫を連れてきていて、4時ごろになって、『そろそろ帰るわ』といって玄関を出たところで、すごい揺れやった。玄関のドアは、しっかりした作りのはずなんやけど、バーンって外れて」
こう話すのは、「農事組合法人 あいかみ」の内濱英世さんだ。
2024年1月1日、午後4時過ぎ、能登半島地震が発生。内濱さんは、1歳と2歳の孫に覆いかぶさって、揺れが収まるのを待った。「相当揺れましたか?」と聞くと……。
「相当って、そんなもんじゃないよ。生きた心地せんかった」



車で避難しようとしたが、新川に架かる橋という橋は、ことごとく段差ができていて渡ることはできなかった。車をあきらめ、徒歩で富来小学校へ向かった。パジャマにジャンパー、着の身着のままの避難だった。
「学校行ったら、みんなきちんとした格好で来とった。パジャマのズボンというのは俺だけやった。格好悪くってさ。みんな、荷物も持っとったし、余裕あるなぁと思って」
その後も、震度4から震度5クラスの揺れが何度も襲い、避難した人たちは「鉄筋の校舎がこれだけ揺れるんだから、うちはつぶれとるわ」などと話していたという。
そのまま1カ月、富来小学校で避難生活を余儀なくされた。
「家は、よう倒れんと立っていたなと思う。でも、家に帰ったって水は出んし、トイレは使えん。水はもう全然ないし、避難所にも水はなかった。学校のトイレは使えず仮設のトイレだった。中には、自動車の中で1カ月ぐらい寝泊まりしていて、具合が悪くなった人もおった」
2月、内濱さんは小学校から志賀町役場へと移った。「庁舎の2階。段ボールのベッドやった」という。自宅に戻ったのは、水が出るようになった3月だった。
内濱さんは戦後間もない1946年(昭和21年)、志賀町に生まれた。東京の大学を出た後、地元に戻り富来町農協の組合長などを勤めた。2015年に「農事組合法人あいかみ」を作り組合長に就いた。現在は組合員18人で48ヘクタールの田畑で、コメ、麦、大豆などを作っている。
2018年からはもち麦の栽培に取り組んできた。もち麦は大麦の一種で、白米より粘り気が強く、噛み応えのある食感が特徴だ。
内濱さんはもち麦を使った商品開発に取り組んできた。
2021年にもち麦を使った干しうどん「桜貝のしらべ」を完成させた。地元・増穂浦をイメージして「桜貝」という名前を付けた。うどんに続いて、そば、そうめん、パスタと相次いで商品化した。
能登半島地震で、田畑や農機具は大きな被害を受けた。
見せてくれたのは「あいかみ」の農機具を収納してあった倉庫の画像だ。
「倉庫に置いてあったんは、田植機、トラクター、コンバイン……。トラクターは1台つぶれてしまった。建物は解体してしまった」


水田の高低差をなくし表面を平らに整えることを「田んぼを均平にする」といい、稲作の基本ともいえる作業だ。しかし地震で、水田に高低差ができていた。水を張ったとき、地面がデコボコだと水深にむらができ、稲の生育に差が出てしまう。また、除草剤や肥料を撒いても、均平でないと、薬剤が効きすぎたり効かなかったりして、雑草が繁茂したり病害虫が発生しやすくなったりする。
「田んぼは、ひどいがに傾いた。水が張れない状態や。水を張ろうとしても、高い所と低い所で10センチくらいの差ができていて、田んぼの半分には水がいかん」
水源となる川からパイプラインを敷いて、水田に水を張っているのだが、途中で破損し、水が噴き出していたところがあったという。
「農道も地面は隆起したり、陥没したり、亀裂があったり……。壊れとる箇所が分からんパイプもあるし。最初に見たときはショックやった。やっぱり精神的にきつかった」

内濱さんは今年1月に、子ども食堂を開設した。志賀町初の子ども食堂で、「みんな食堂そしじ」と名付けた。「そしじ」は「愛、調和、感謝」を表す言葉だ。ボランティアの協力で、麦ごはん、エビの唐揚げ、伊達巻など80人分を作った。子どもたちだけでなく、被災して仮設住宅で生活している人たちも利用している。子ども食堂を始めて、いろんなことに気づいたという。
「仮設の人たちは、あまり食べとらんね。『味噌汁、久しぶりに食べた』って言う。インスタントのものばっかり食べとるんじゃないかなぁ。ご飯もパックとか。外に出る機会も減っているかもしれん」
内濱さんは、6月からプラスチック容器でなく、輪島塗のお椀で食事を提供するようにした。解体で出てきた漆器だ。「日本人はプラスチックごみを捨て過ぎる」と憤り、海洋汚染に心を痛める。
かつて100世帯だった相神の集落は、能登半島地震で過疎化が急速にすすんでいる。内濱さんに子ども食堂の開設を決断させたのは、子どもも高齢者も集まる場を設け、ふるさとを明るくしたいという思いだった。
「避難所におるとき、知り合いが、『内濱君、これ飲んでくれ』って、水をいっぱい持ってきてくれた。それだけでなく、たくさんの人が支援に来てくれた。その人らに何かあっても、俺はお返しすることは出来んなと思った」
「鶴の恩返しやね」と内濱さんは笑う。今後も毎月第2日曜日、月1回のペースで、子ども食堂を続ける考えだ。
「長い間生きさせてもろたし、農協の組合長もしたし、区長もした。俺の力でなったんじゃない。みんなの力やと思っとる。お金が一杯あれば、みんなに配ればいいと思うけど、お金はないし……。俺も79歳。あとどれだけ生きておられるか分からんけど、こうやっておられるのも、みんなにお世話になったおかげやと思ってさ」

農事組合法人あいかみ
農事組合法人あいかみは、能登半島の中心に位置する志賀町にある小さな集落の農事法人です。
米をはじめ、もち麦、大豆などの新しい品目にチャレンジし続けています。
昔ながらの方法で、と言いたいところですが、農業を続ける人が減った昨今、機械化は避けられません。けれども、自分たちが「うまい!」、「安全だ!」と思えるものでないと作らない・売らない事を経営方針としております。老若男女だれでも、「おいしく食べて元気になれるもの」を育て、皆様のもとへお届けいたします。
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」