中島正士さん 中島石材店
「慌ててブレーキを踏みました。目の前の電信柱が揺れたり、道が崩れてなくなったりしていて……」
そう語るのは志賀町富来領家にある「一級技能士の店 中島石材店」の中島正士さんだ。2024年1月1日、妻の実家のある富山県から自宅に戻る車の中で、能登半島地震に見舞われた。家まであと10分ほどのところだった。ほどなく大津波警報が発令された。
「橋と道の段差が30センチくらいあったり、道路のアスファルトが隆起して通れなくなったり。そんな場所がたくさんありました。パンクした車が転がっているし、そこらじゅうで渋滞が起きているし。少しでも高い所へ逃げようと思って、山手の方に向かいました」

中島石材店は“世界一長いベンチ”で有名な増穂浦海岸から直線距離で2~300メートルのところにある。山手に避難した車の中で大津波警報の解除を待ったが、「工場が駄目になっているかもしれない」と思うと、いてもたってもおられず、車に妻と2人の子供を残し、一人工場へと駆け出した。暗い道を30分走り続けてたどり着くと、積んであった墓石や加工を終えた灯籠が散乱していた。体の震えが止まらなかった。


「ライトで照らして確認作業をしたんです。大きな被害はあったんですが、大口径の切断加工機や天井クレーン、研磨機などは致命的な損傷がないことが分かり、『工場は再び稼働できる』と思うと、ようやく体の震えが止まりました」
その夜、中島さんが駆けつけた場所が、もう1カ所ある。工場から200メートルほど離れた住吉神社だ。神社の周りを取り囲む柵・玉垣を、2019年に耐震施工した。長さ106メートルある。
元日の能登半島地震で、最大震度7を記録した観測点は2カ所ある。輪島市門前町と志賀町香能だ。住吉神社は志賀町香能から直線距離で約2キロと近い。住吉神社の鳥居は倒れていたが、玉垣は一本も倒れることなく、あの揺れに耐えていた。シャッターを切った。「自分の工法が間違っていなかった」と確信した。

中島さんは1985年、旧富来町生まれ。富来高校卒業後は岡山大学工学部に進学し、システム工学を学んでいた。大学生活も3年が過ぎ就職活動をしていた2007年3月、能登を震度6強の地震が襲った。テレビには被災した能登の様子が映しだされた。驚いて家族に電話しても誰もでない。急いで電車に乗り、富来に戻った。
「どうやって富来まで帰ったのか覚えていないんです」
家族は無事だったが、大学を休学し、墓石の復旧工事をする父の仕事を手伝った。そのうち「自分はこれをやらないといけない」と思うようになり、石工になることを決めた。大学卒業後、愛知県岡崎市の石材加工科がある職業訓練施設や石材店で修業し、26歳で富来に戻った。
2024年1月1日、ふるさとを再び地震が襲った。その夜から、墓の修復依頼が舞い込んだ。奥さんと2人の子供たちは、奥さんの実家に避難させ、中島さんは工場で寝泊まりする生活が始まった。再び、復旧工事に奔走する日々が始まるはずだったが、中島さんは「仕事は2月から」と決めた。
「町指定の避難所が10カ所くらい。でも公式じゃない避難所がたくさんあって、そこに各地から届いた支援物資を届けたりとか、自分の知っている炊き出しをしてくれるメンバーや、ボランティアの人を各避難所に割り振ったりとか、つなぎ役、コーディネーターみたいな感じですね。仕事は2月1日から。それまでは、地域でできることをやろうと決めていました」
中島石材店は各地から届く救援物資の中継地点のようになった。

2月、墓の復旧工事を開始した。しかし7月、休みなく働き続ける中島さんをアクシデントが襲った。重機が倒れ、左足を挟まれて骨折。今も足にボルトが入っている。
「2カ月入院しないといけなかったんですけど、1カ月半で病院出してくれって。手が動くので、松葉杖ついて、膝をつきながらクレーンのリモコン持って……。そういう現場もありました。それでもやらないといけないって感じです」
「怪我をする事は恥ずかしいんですけど」と言いながら、膝を折ったまま作業する写真を見せてくれた。

中島さんは、石を素材にして、多彩な作品作りにも取り組んでいる。作家としての顔である。
「震災前に千葉のレストランから器の製作依頼があって。ここ(能登)にある石で作るより、『シェフが拾った石を送ってください』と言って石を送ってもらって、それを加工してプレートを作ったんです。『その土地の石』、例えば庭の石とか、掘ったら出てきた石とかを私が加工し、その土地に戻してあげる。エピソードが大事だと思うんです」
「その土地の石」が語るエピソードとは、歴史だろうか、人の営みだろうか、それとも石が見た風景の記憶だろうか……。
-1024x576.jpg)
仕事の依頼は断らない。病院にいた日々以外、1日も休まず働いている。お墓など1000基は復旧工事をしたが、今も新たな依頼が届く。


復旧工事に追われ、作家としての活動はストップしている。「やりたいことができないというフラストレーションがたまりませんか?」と聞いてみた。
「今、自分がお墓を直すことをやめてしまったら、能登の人たちは、どんどん地域とのつながりをなくしてしまう。『家は壊れてなくなったし、お墓も潰れてしまったし、もう墓じまいして……』となると、だれも能登に来なくなる。自分が、倒れないように直して、そしてまた能登に来てもらう。最後のとりでがお墓かなと思っているんです」

中島石材店
能登の石屋として創業100年を迎えました。中島石材店の手仕事は、墓石・灯籠・表札看板・記念碑・神社仏閣・石彫・墓石リフォームクリーニング ・石製品・外構庭工事・コンクリート工事と技術を知識と創造力を持って、評価してくださるお客様の期待に答えたい思いで日々精進いたします。
https://nakashima-sekizai.com/
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」