三好和夫さん 大島キャンプ場施設長
2024年1月1日。能登半島地震の一報を海外で聞いた人がいる。志賀町大島にある大島キャンプ場の施設長、三好和夫さんだ。
「ロンドンと日本は、時差が9時間あるんですよ。朝の7時ごろ、目覚めてしばらくしたころ、友人からLINEがきて、『志賀町、すごい大きな地震で大丈夫か?』って。テレビをつけたら倒壊した家屋や、輪島の火災の様子が映っていた。ロンドンでも日本の様子がリアルタイムで見られるんです」
三好さんは、結婚しロンドンで生活している一人娘に会うために、2023年の暮れから奥さんと2人でヨーロッパに出かけていた。
「かみさんの弟が内灘町に住んでいるので、とにかく志賀町に行って、家の写真を撮ってラインで送ってほしいと伝えたんですよ。震度7なので、家は絶対つぶれていると思いました。なんせ、震度7ですから。翌日、写真が送られてきたんです。家の中はいろんなものが散乱していました。屋根も損傷していましたが、家はつぶれてはいませんでした」


ひとまず安心はした。5日の帰国予定を早め日本に戻らなければと思い、航空チケットを変更しようとしたが、思わぬ事態がそれを阻んだ。
「羽田空港で海上保安庁と日本航空の飛行機が衝突する事故があったでしょう。それで羽田が閉鎖されて、5日に押さえていた航空チケットを取り直すことが出来なかったんです。その5日の予約も『キャンセルになることもあります』って言われました。実際、4日までキャンセルで。小さい機体でないと滑走路が使えないらしくて」
羽田空港の衝突事故も能登半島地震とは無関係ではない。海上保安庁の航空機は、被災地に救援物資を運ぶため、離陸を待っていた。
三好さんが「もう、開き直るしかない心境だった」というロンドンの4日間を過ごし、自宅に着いたのが1月5日の夜7時ごろだった。瓦が割れて落ち、屋根の野地板や垂木がむき出しになっていた。室内は留守にしていた間に降った雨のために、雨漏りがして、天井に染みが出来ていた。
「2階の雨漏りしている天井を見あげると、ジリジリと音がするんですよ。というのは、蛍光灯の線が漏電で火花が散る状態なんです。電気屋さんに電話して『申し訳ないけど、すぐ来てほしい』と。『明日じゃダメですか』って言うんですけど、『いやー、頼むわ』ってお願いして来てもらった。やっぱり漏電で、一日遅ければ、火事になってる可能性もありました」


三好さんが大島キャンプ場の確認に行ったのは7日だった。キャンプ場の小型ログハウスは2つのエリアに20棟ある。低い砂地に11棟、少し高くなった場所に9棟が建っているのだが、砂地の11棟が大きな被害を受けていた。高さ40センチほどのコンクリートの基礎があるのだが、何本かの基礎が地面に飲み込まれるように沈んでいて、ログハウスは大きく傾いていた。



「もう、とにかく悲惨な状況で。液状化現象で基礎が全部傾いていて、電柱はすべて斜めになってるし、地割れはしてるし。これは、いつになったら再開できるんだろうと思うぐらい、ひどい状況でしたね。砂地は液状化現象が起きやすいと聞きますが……。それにしても、地盤によってこんなに被害の大きさが違うんですね」
大島キャンプ場が最もにぎわうのはお盆とゴールデンウイークである。傾いたログハウスを何とかゴールデンウイークまでに修復しようと3月から工事にかかり、4月1日には営業再開にこぎつけた。

三好さんは1951年(昭和26年)愛媛県の生まれだ。東京の大学を卒業したあと、大手スポーツ用品メーカーに就職した。2012年、定年退職を機に奥さんの生まれ故郷である志賀町に移り住んだ。5年ほど前から、大島キャンプ場を経営する大島観光開発㈱に勤め、施設長をしている。能登の印象を聞いてみた。
「雨が多くて、フェーン現象で夏はすごく暑い。ちょっと住みづらいという印象がありました。ただ、海とかきれいじゃないですか。四季もはっきりしていて、冬にはちゃんと雪が降るし。逆にいいのかなって今は思ってます。雪を求めてキャンプ場に来る人もいるくらいですから」
キャンプ場は海に隣接しているのだが、津波の被害はなかったのだろうか。
「津波の高さは分かりませんが、10メートルほど陸地に遡上したのではないかと思います。幸い、キャンプ場は休みで、お客さんは誰もいなかったので被害は免れました」
そう言うと三好さんは棚から、「津波フラッグ」を出して見せてくれた。
津波フラッグは、津波警報や津波注意報が発令されたことを視覚で知らせるための旗で、5年前に海水浴場などで導入された。いろいろなサイズがあるそうだが、見せてくれたのは横が約150センチ、縦が約120センチの長方形の旗で、4分割した格子模様に、赤と白の彩色がされている。
三好さんがこの津波フラッグを使わなければならない災害が、再び起きないことを祈るばかりだが、地震、集中豪雨、台風……、災害は容赦ない。
「あちこちで大きな地震が起きてるじゃないですか。だから、どういう災害でも、それを乗り越えていかなくてはいけない。乗り越えて生活しないといけない。大変な不便さを感じて、過ごしてきましたけど、日本ではそういう自然災害とお付き合いしながら、今後も生活して行かないといけないのかなと思いますね」

大島キャンプ場
大島キャンプ場は、能登半島国定公園内に位置している白砂青松の自然に囲まれた、約250サイト設営可能なフリーサイトをもつ日本海側最大級のオートキャンプ場です。
広大な敷地を持つ大島キャンプ場はほぼフリーサイトとなっており、好きな場所に車を乗り入れ、テントを設営して頂く事が出来、デイキャンプから何泊も連泊して行かれるお客様もいらっしゃいます。
夏はファミリーで賑わい、春や秋のキャンプは程よい賑わいで、静かな大人のキャンプを楽しむ事が出来ます。
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」