#10「能登が能登たる誇り」とは…… 廃棄される器の悲しみを思う

 

鶴沢木綿子さん Futo(フート)代表

志賀町富来地区を拠点に、被災者の支援活動をしているチームがある。
名前は「Futo」。
志賀町にある海辺の集落、「風戸(ふと)」が名前の由来だ。
 
「素敵な地名だなと思っていたんです。『風の戸』とかいて『ふと』。私たちが支援活動する中で開く風の扉があったらいいなぁと思って。ちょっとポエトリーな感じですけど」
 
そう話すのはFuto代表の鶴沢木綿子さんだ。1985年(昭和60年)志賀町生まれ。東京の大学を卒業後、東京の広告写真制作会社に勤めた。その後、金沢市内の会社勤務を経て、2020年に志賀町に戻った。現在は富山県の会社からの依頼を受け、簡単なデザインやレポート制作の仕事をしている。
2024年1月1日、志賀町富来地頭町の自宅で地震に襲われた。
 
「古い建物の2階に居たんですが、ものすごい揺れて。経験はないのですが、空襲みたいな感じ。何かに攻撃されているみたいな揺れ方で、立っていられない。母親と抱き合って、『もう止まってくれ』って言っている状況でした」

瓦が落ち、ものが散乱する建物の間を靴も履かずに走った=鶴沢さん提供
鳥居が崩れた建部神社=鶴沢さん提供

スリッパをつっかけて外に飛び出すと、「津波が来るぞ!」と言われ、両親と3人で歩いて高台へと避難した。スマートフォンも持たないままだった。
 
「本当に何がどうなっているのか、みんな分からなくて、スマホ持ってる人も分からなかったし、津波が来たのかどうかも分からなかった。ただ、すごい頻度で余震があるんで、ものすごく怖かった。緊急地震速報が鳴るたびに、余計に混乱した感じです」

避難した高台(荒木ケ丘)の頂上付近=鶴沢さん提供

高台を降り、避難所に着いたのは夜だった。テレビを見て能登は大変なことになったと知った。
 
「でも避難所の人たちは変に明るかったです。落ち込んでいるんじゃなくて。現実に何が起こっているのかを理解しきれていない分、変な集団ハイみたいになってた」
 
そのまま避難所で一夜を明かした翌朝。新聞に「被災者」という文字を見たとき「あっ、私たちも被災者になったんだ」と思ったという。
家に戻り片づけをしようとしたときだった。
 
「自分の部屋にあったものを手に取ったときに、ふと涙が出てきて……。寝ていた場所、自分が安心して居られる場所が、そうじゃなくなった。自分の居た世界が変わってしまった。単純な喪失感とかではなくて……。すごくこみ上げてきてしまって……」
 
地域でボランティア活動を続けるうちに、Futoを立ち上げた。現在、5つのプロジェクトを柱に活動している。
その一つが「風の戸プロジェクト」で、Futoの根っことなるプロジェクトだ。
 
「立ち上げ当初は、家の片付けとか、災害ごみ運搬といったいわゆる災害ボランティア活動は、大きな団体さんやボランティアセンター経由のボランティアさんにお願いしてもらおうと思ってたんです。でも被災者の方は、ボランティア慣れしてないんで、ボランティアさんにどうお願いしたらいいか分からない、お願いしづらいということに気づいたんです。私は地元なんで、街を歩いて、知っている人、一人一人に『なんか手伝おうか?』って声を掛けるようになって、そのまま一緒に片付け始めるみたいなことをずっとやっていました。私が重きを置いているのは、動きながらお母さんたちの話を聞くってことなんです」
 
「EIKICHI PROJECT(エイキチ・プロジェクト)」は、廃棄される予定だった着物や古布をレスキューし再生する活動だ。
 
「エイキチは、ひいおじいちゃんの名前です。『栄吉』。地震の時、私はひいおじいちゃんの着物を着ていたんですよ。コートみたいにできるんで、格好良くて、子供のころから羽織っていた」
 
集めた古布であずま袋を作り販売している。リバーシブルで、古布が持つ独特の素材感が美しい。売上はFutoの活動資金に充てている。

曾祖父の栄吉さん(左端)=鶴沢さん提供
あずま袋制作の様子。「こういうのが作りたい」という鶴沢さんの発想を、 メンバーが着物の特性を踏まえ検討を重ねる=鶴沢さん提供

「きのものおき小屋」プロジェクトは建材、建具、古民具や漆器などのレスキューである。災害ごみとなる輪島塗の器を救い出し、必要とする全国の飲食店などで再利用する活動を行っている。
 
「地震が起こるまで、輪島塗は当たり前にあるものだったので、あまり興味がなかったんですけど、片付けのお手伝いをしている時に廃棄される輪島塗を見ながら『輪島塗ってやっぱり素敵だな』と思って。でも『蔵とか納屋が被災して置き場所がないから捨てる』という方が多くて。輪島塗が、災害ごみ置き場でバンバン放り投げられている。その一方で、避難所ではプラスチックの器でずっと食事をとっていて。『これって何かおかしくない?』と思ったのがきっかけで、輪島塗を集め始めたんです」

近くのお寺から譲り受けた器。輪島塗を集めるきっかけになった=鶴沢さん提供

「人といのちの森づくり」プロジェクトは、森づくりによる環境保全と、人と人のネットワークづくりを目指している。今後は、町外の人に、森や田んぼづくりに関わってもらいながら、山、川、海といった自然を軸に循環する能登のくらしを知ってもらうプログラムを行う予定だ。
 
「こどもじま」プロジェクトは、子供たちを支援する活動で、子供たち自身が企画し運営していくことを目指しており、現在、台湾の支援団体との連携を図っている。
 
Futoは個人の集まりで、主要メンバーは5人。メンバーだけでなく、首都圏からリモートで相談に乗ってくれる人がいたり、あずま袋のパターンを起こしてくれる人、縫ってくれる人、さらに写真撮影をしてくれる人がいたり。ほぼ全員がボランティアでの協力だ。現場で実質的に動いているのは、ほとんど鶴沢さん一人だが、遠方から定期的に通って手伝いをしたり、アドバイスをくれる人もおり、さまざまなつながりに支えられて成り立っている。まだ始動できていないプロジェクトもあるというが、根底にあるのは消費を是とする経済至上主義への疑問だ。

金沢の建築士と建物の修繕などの相談をする=鶴沢さん提供
富来地区の街並み=鶴沢さん提供

鶴沢さんが東京に住んでいた2011年3月11日、東日本大震災が発生し宮城県石巻へ通った。「お母さんたちの話を聞く」という活動スタイルの原点は石巻にある。いや、原点は石巻だけではない。ひいおじいちゃんの着物がかっこいい。「風戸」という地名に心がとまる。解体を待つ蔵に無常を感じる。廃棄される器の悲しみを思う。いくつもの記憶が層を成すように重なり、Futoの鶴沢さんがあるように思える。
 
「輪島塗にしろ蔵にしろ、能登が能登たる誇りというか、アイデンティティを感じるんです。都会には全然ないものがたくさんあって。でも、こっちの人は気づかずに捨てている。使わないっていうの分かる。置く場所がないというのも分かる。でも今それを失ってしまったら、私の故郷がなくなってしまうことのように思えるんです。文化的なアイデンティティがなくなってしまうことにすごい危機感があるんです」

家屋の解体が進む志賀町富来地区

Futo(フート)

Futo(フート)は、能登半島地震をきっかけにつながった個人の集まりです。​
「目に浮かぶ大切な人を幸せに」をキーワードに、被災地への物理的・心理的支援、支援者の受け入れやコーディネート、子どもや女性を中心とした支援プロジェクトを実行し、心のともなった復興と地域づくりに寄与することを目的としています。

https://www.futonoto.org


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)

1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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