#9「大丈夫、大丈夫 心配せんでもいいよ」笑顔で復興の歩みを進める

 

寺岡一彦さん 寺岡畜産専務

「『また緊急地震速報か』と思い、テレビを押さえていたら、2回目がきたんです。すごい揺れで、立っていられない。息子が『家の中に居たら危ないから出よう』と言ったので、パジャマのままサンダル履いて出ました」

食肉卸の寺岡畜産の寺岡一彦専務、慌てて自宅を飛び出すと、道路のアスファルトは地割れし、自宅は傾き、車は出せない状況だった。そして大津波警報。

家が傾き車が出せない状態=寺岡さん提供
富来川沿いの道路には大きな亀裂が走った=寺岡さん提供

「近くに交番があるんですが、警察官が『とにかく高台に行ってください!』と言っている。周りをみると墓は倒れているし、木は傾いているし……。途中、ため池の堤があるんですが、その堤が決壊しないか心配しながら高台に向かいました。妻は飼っていたメダカの水槽の水をかぶったので、びしょびしょのまま『寒い、寒い』と言いながら避難しました。車一台やっと通れる狭い道に何百人が固まっていた状態です」

1時間ほどで高台を降り、一旦避難所へ身を寄せ、その後自宅へと戻った。しかし、傾いた家で寝泊まりは出来なかった。車中泊が始まった。

座席をフルフラットにして車中泊した=寺岡さん提供

寺岡畜産が運営する「てらおか風舎 富来本店」(志賀町富来領家町)も大きな被害を受けた。

「一人では動かせないようなフライヤーとか、ミートスライサーが2メートルぐらいずれて、全然違うところにあった。冷蔵庫も動いていたし……」

被災した「てらおか風舎 富来本店」=いずれも寺岡さん提供

寺岡畜産は志賀町富来領家町をはじめ、金沢市で2店舗、白山市1店舗、合わせて4つのレストランを運営しているが、富来本店は営業できる状況ではなかった。寺岡さんは、金沢市内のホテルで避難生活を送りながら、店の再開を目指す日が続いた。まず考えたのが従業員のことだった。

「社員はアルバイト、パート含めて80人くらいですかね。水が出ないので、加工場も何もできない。だけど、従業員を守る、そっちを優先しなければいけない。仕事がなくなって、従業員の首を切るというのは考えられません。従業員が80人いたとすれば、奥さん入れれば160人いて、子供を入れれば300人とかになってくる。そっちを守らなければと思っている」

住むところを失い、志賀町を離れた従業員もいたという。

「仕事はしてほしいんですけど、白山市のアパートを借りた従業員がいたり、『家族でかほく市に行きます』という従業員がいたり……。それはどうしようもできない。もちろん金沢店で勤められる人は金沢店で働いてもらう。5人が仕事を離れましたね。仕事があっても、住むところがないとだめなんです」

幸い、100頭の牛に被害はなかった。近くから井戸水を酌んできて、急場をしのいだ。

「てらおか風舎 富来本店」が営業再開にこぎつけたのは3月23日だった。

「てらおか風舎 富来本店」の修復工事=いずれも寺岡さん提供

「志賀町、富来地区が復旧したということを、皆さんに発信できればというのがあったし、それをやらなければと思っていました。灯りを一つずつ灯していきたい」

「私は、富来で生まれて、富来で育って、富来の保育園、富来小学校、富来中学校、富来高校と、“富来のエリートコース”を歩んできました」と笑った。

寺岡さんは、地震発生の直後から何枚も写真を撮ったが、それは公開していなかった。

「地震の写真は、マスコミからも提供を求められましたが、出しませんでした。お客さまにはそういうところを見せたくなかったんです。店がきれいになってようやく、マスコミに来てもらって、何事もなかったように再開しました」

「心が折れることはなかったのですか?」と聞くと、言下に否定された。

「そんな時間はなかったですね。とにかく、目の前にあることをやらなきゃという緊張感でずっとやってきました。毎日金沢からの3時間車を走らせ富来に来て……。あっという間でした」

多忙を極めた日々にありながら、寺岡さんは2024年7月、富来ロータリークラブの会長に就任した。私が「よく引き受けましたね」と言うと「本当ですね」と笑顔が返ってきた。

「緊急時のリーダーはどうあるべきか、ずっと自分に問い続けてきたので、とにかく笑顔で明るく。会社でもそうですし、絶対くさった顔を見せたくなかった。何事も『大丈夫、大丈夫。心配せんでもいいよ』という雰囲気は出したかったですね」

確かに寺岡さんの写真をみると笑顔が多い。

松村防災担当大臣(右)と稲岡町長(中央)(2024年2月)=寺岡さん提供
2024年4月、新入社員と=寺岡さん提供

沢山の写真のなかに、こんな一枚を見つけた。
撮影日は2024年1月4日。車中泊を続けていた朝である。ブルーシートで応急措置しているのは両親の家で、その向こうに虹がかかっている。

「神のお示しでしょうか。希望の虹にみえました。頑張らなければと思いましたね」

2024年1月4日、自宅前で撮影=寺岡さん提供

寺岡畜産は1904年、明治37年に当時の富来村で創業した。

「能登牛を全国ブランドに広めていくのが私の使命だと思っている。能登牛が全国で認知度が上がれば、当然、能登牛を飼っている志賀町の認知度は上がる」

創業120年という節目の年に、未曽有の大地震が富来を襲ったが……。

「大丈夫、大丈夫。心配せんでもいいよ」
笑顔で復興の歩みを進める。

 「てらおか風舎富来本店」前にて

寺岡畜産

石川県羽咋郡志賀町(旧富来町)に明治37年(1904年)創業、1972年に寺岡畜産株式会社を設立。創業当初から能登和牛、現在ブランド牛「能登牛」を中心に精肉店を営み、加工・卸・小売、一頭買い・手切りによる販売を展開しています。

https://www.notogyu.com


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)

1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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