冨澤美紀子さん トギストア専務
志賀町富来領家町の「道の駅とぎ海街道」駐車場に4台のトレーラーハウスが並ぶ。能登半島地震で被災した飲食店や弁当店など5店が営業する「仮設商店街」、その中の一つが「トギストア」だ。専務の冨澤美紀子さん。社長で夫の軒康さんと店を経営してきた。
2024年1月1日、帰省した娘や孫と一緒にお墓参りに出かけ、家に帰ろうと車に乗った直後に大きな揺れに襲われた。
気象庁は1日午後4時22分、石川県に大津波警報を発令した。
「とりあえず家の方に向かったんです。でも、道路のアスファルトは見る見るうちに地割れしてきて、目の前を大きな岩が転がってくるし。ぐるぐる遠回りしてようやく家にたどり着いたら、近所の人たちが外に出ていて、『逃げろ!逃げろ!』、『逃げよう!山まで逃げよう!』って。とにかく高いところへ逃げようと、みんなで必死に少し遠い山の上まで登り詰めました」
寒い日だった。1歳になるかならないかの孫を抱いて走った。高台には広場があり、焚火をして暖をとった。高台を降りるころには、すっかり日が沈んでいた。
「最後尾に一台の車、そのライトを頼りに、みんな手をつないで真っ暗闇の山道を降りたんです」
冨澤さんはそのまま避難所に身を寄せた。400人くらいいたという。
「余震が続く中、その夜はとにかく怖くて、みんなくっついて、一晩過ごしました。一睡もできませんでした」

冨澤さんが営むトギストアは1階が店舗、2階が住居スペースになっていた。避難所で一夜を明かした2日、店の様子を見に行った娘さんの言葉に、愕然とした。
「お母さん、もうだめやわ……。家には住めない……」
「帰ってくるなり言われたんです。頭の中が真っ白になり、全身の力が抜けてしまって、店を見に行くことはできませんでした」
しかし、いつまでもこんなことしてはおれないと、翌日、店を見に行った。
「すごいことになっていた」
しょう油や調味料など瓶に入った商品は割れ、床は茶色に染まっていた。店内の掛け時計は地震発生時間を刻んでいた。



「店の中の写真を撮るのが悲しくて、悲しくて……」
気持ちを落ち着かせてからでなければ、シャッターを切れなかったという。

地震発生から約50日たった2月19日、店舗の危険な箇所をブルーシートで覆い、一部のスペースで営業を再開した。なぜ、一歩を踏み出すことができたのか、聞いてみた。
「時間はかかりましたけど、避難所に一緒にいた皆さんに励まされて、『頑張ってね。必ずまたお店開けてよー。美味しい魚、お刺身とかまたいっぱい並べてね』といわれた。『頑張るね』って『またおいしいお刺身造るから買いにきてねー』って、皆さんに励まされて、少しずつ元気を取り戻すことができたんです」
「待っていてくれる人がいる」。それが励みになったという。
9月、「道の駅とぎ海街道」駐車場の仮設店舗で営業を始めた。店の広さは以前の10分の1にも満たない。そのため、品ぞろえは手作りの惣菜や刺身などに絞り込んだ。仮設店舗で使う什器や備品を購入するための資金は、クラウドファンディングで募集し、約123万円が集まった。
「うちのお店は地域密着型の小さなスーパーです。地域の方々が毎日笑顔で訪れ、そこで会話が弾み、元気が出る。そのような富来の復興を象徴する場所でありたいと思っています。私が元気でいないとね」



冨澤さんと一緒に、撮った画像を見る。「画像を見返したことはありますか?」と聞いてみた。すると「ないです」と即座に返ってきた。きっぱりとした口調だった。
「見ると辛いんです。見たくないんです……。きょうは久々に画像を見ました」
冨澤さんの目に涙がにじむ。辛いことを思い出させることになってしまって、申し訳なく思った。
そして、あの日、あの地震で失ったものの大きさを改めて思った。
「店のキャッチフレーズは“笑顔に会えるショッピング”。以前と同じ規模とはいかないかもしれませんが、会話が弾んで笑顔になれる居心地のいい店を、もう一度作りたい」
冨澤さんはそう話す。
旧トギストアは解体が終わり、更地になった。それでも一日も早い再建を目指し、歩みを進める。待っている人がいる限り――。

トギストア
トギストアは、石川県能登地方の小さな町富来にある、地元に密着したスーパーです。手作りの美味しいお惣菜や、近くの漁港から直接仕入れた新鮮な魚介類を販売しております。この地方でしか売っていない商品の取り扱いもございます。ご希望の商品がございましたらお気軽にお問合せ下さい。
〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)
1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」