#3 津波の被害を受けた遊覧船 復興を目指し再び能登の海へ

 

木谷茂之さん 由己さん 能登金剛遊覧船経営

「津波で転覆した遊覧船……。今もあの光景は忘れられません」

そう話すのは、「能登金剛遊覧船」の社長、木谷茂之さんだ。「能登金剛遊覧船」は戦後間もない1951年(昭和26年)に創業した。木谷茂之さんは2代目である。

能登金剛とは福浦港から関野鼻にいたる29キロの富来海岸一体を指す。巌門はその中心で、奇岩と海の作り出す自然の妙は外浦随一の景勝地である。遊覧船は巌門周辺を発着点に、日本最古の木造灯台「旧福浦灯台」などを周遊する。

2024年1月1日、木谷さんは家族で初詣に向かう車の中で能登半島地震に見舞われた。大津波警報と避難勧告が発令され、家族全員で避難所に身を寄せた。

「『しばらく避難所に居ることになるだろう』と思って、ひとまず自宅に帰ったんです。自宅は一応、立ってはいましたが、中は全部ひっくり返って、すごい状態でした。これはもう住めないなと思って、とにかく布団だけ出してこようと。布団だけ持って外にでたら、目の前に津波が押し寄せてきた。びっくりして……。危なかったですね。あれ以上の波がきていたら生きていなかったかもしれない」

木谷さんの自宅は、遊覧船乗り場から直線距離でおよそ2キロ、志賀町福浦港にあり、家の前は道路一つ挟んで海である。木谷さんは3隻の遊覧船を保有していて、観光シーズンを終えるとシートをかぶせて陸揚げし、春の運航を待っていた。

「津波がきて、『遊覧船が大変なことになっているではないか』と思って係留してある船を見に行ったんです。1隻は大丈夫でしたが、2隻は引き波に流されて、岸壁の堤防に引っかかって傾いていました。50メートルくらい流されたでしょうか」

カメラのライトに照らされ、暗い海に浮かび上がる3隻の船。

「終わったな――」

ただ呆然とシャッターを切った。

遊覧船3隻のうち2隻は津波で流され岸壁の堤防に引っかかっていた=木谷さん提供

奥さんの由己さんも、「もうだめや」と思ったという。

「流されたと聞いて、ショックでした。でも、私は現実を受け入れることができず、船を見ることができませんでした」

由己さんは、遊覧船乗り場のすぐ近くにある「遊覧船案内所」を兼ねた「旅の駅 巌門」を切り盛りしている。季節限定の「海の塩ソフト」、「岩ノリ」、「自家製レモネード」のほか「さくら貝のハンドメイドアクセサリー」など地元の特産品を並べている。

「やっとコロナが収束して、これからというときに地震だったので……」と、言葉を詰まらせる。

一夜明け、地震の被害は徐々に明らかになっていった。隆起した岸壁。堤防には亀裂が走っていた。能登随一の景勝地として知られる巌門も遊歩道脇の柵はことごとく倒れ、崩落した岩石が遊歩道を埋めていた。

「事業を続けることはできないかもしれない」

家族や従業員の顔が思い浮かんだ。

倒れた遊歩道脇の柵=木谷さん提供
倒れた遊歩道脇の柵=木谷さん提供
遊歩道に架かる橋は段差ができ渡れない状態に=木谷さん提供

2024年3月。木谷さんはクラウドファンディング(CF)を通じて、支援金の募集を開始した。目標は300万円で、船体の修繕費や、破損した機械の修理費に充てる。

木谷さんは、どうやって前を向き、復興への一歩を踏み出したのか。そのヒントがCF募集のホームページに書かれていた。

色んな思いが頭の中を駆け巡りましたが、心の整理がつかず呆然とする日が続きました。
しかし、しばらくして気持ちが落ち着いたころ、何気なく開いたSNSには、全国の方々からいくつものメッセージが寄せられていました。

「ひとりじゃないですよ!心はひとつ。共にがんばりましょう!」
「思い出の詰まった遊覧船。ぜったいにまた浮かべてください!」
「また元気な笑顔を見に会いに行きます!」

ひとつひとつのメッセージに目を通すたびに涙が溢れ、心の底から湧き上がってくるものがありました。

(CF募集のホームページより)

転覆した遊覧船を吊り上げ、元に戻す作業=木谷さん提供

4月。無事だった1隻で、ゴールデンウイーク限定の運航を決めた。
5月。CFの支援者は224人、支援金額は339万64円。目標を超えた。
6月。週末限定で運航を再開した。
7月。被災した2隻も修繕を終え通常運行を再開した。

2年前に富来商工会女性部に入ったという由己さん。「地震のおかげで横のつながりができた」という。

「普段の、みなさんとの付き合いをこの辺りでは『へいぜいこうじょうの付き合い』というんですけど、商工会の人たちがいなかったら、前向きな気持ちになれなかったと思う。『ゆきちゃん大丈夫?』、『前向いてやっていたら、何とかなる』って。皆さん商売をしている奥さんなんですが、私にとってすごい励みになりました。家が全壊した人や仮設店舗に入った人もいるのに、私のことを応援してくださる。それから、全国の人が顔を見に来てくれるんです。『どうしている?元気にしている?』って。『ひとりで抱えないで』、『なんでも言いなさい』と言われる。みんながおらんかったら、無理やった。心が折れていた」

周囲には、あなたを支えたいと思っている人がたくさんいる。「助けてください」と声を上げることで、孤独にならず前に進む力を得ることができる。「ひとりで抱えないで」という言葉が、前を向く力を与えてくれる。

能登金剛遊覧船案内所にて
能登金剛遊覧船乗り場にて

能登金剛遊覧船

木谷夫妻が営む能登金剛遊覧船は、能登半島国定公園の巌門を周遊します。日本海の荒波により造られた大自然の造形美。透き通るような海を下にして観ることの出来る能登金剛・巌門の雄大な景色は、陸上から見るものとまた一味違う感動です。

https://ganmon.jp/


〈ライタープロフィール〉
高橋 徹(たかはし・とおる)

1958年、石川県金沢市生まれ。北陸朝日放送で報道部長、東京支社長、報道担当局長などを勤める。記者として原発問題や政治・選挙、オウム真理教事件などを取材してきた。著書に「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」


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